先日3月2日、文部科学省で京都大学の改革強化のための補助金の配分が決定され、5年間で外国人教員100名を雇用し、教養授業の半分程度が英語で行われるという内容の記事が、朝日新聞および日経新聞に掲載されました。その後3月5日に開催された部局長会議および評議会において、外国人100名の受け皿としての再配置定員を確保するために、各部局で年間一定割合の教員削減を行うことと並行してシーリングをかける (一定の比率で、空いたポストを補充せず空けたままにしておく) という案が、多大な議論の末、可決されました。これにより、各部局は今後の運営がきわめて厳しくなるため、大きな議論が呼び起こされています。
「外国人100名雇用」に関する案が最初に浮上して来たのは、昨年3月末ごろですが、松本紘総長を中心とする執行部の一部から提示されたこの案は、いったん消え、昨年6月より、専ら「国際高等教育院」設置案が急速に推し進められるようになりました。その後、同案が昨年末12月18日に、実質的な多数決により強引に可決されたことについては、すでに本ウェブサイトでもお知らせしたとおりです。
この決定の結果を受けて、本年1月に国際高等教育院設置準備委員会が立ち上げられ、現在は、ようやく構想の中身に関する検討が始まって間もない段階です。そのような時点で、私たちの知らないうちに進展していた、かくも重大な問題が、あたかもすでに決まったかのごとく、突如新聞報道をとおして通知され、混乱に陥れられたことに対して、私たち京都大学の教員は衝撃と憤りを禁じ得ません。松本総長以下、現執行部は、教育の現場に立つ私たち教員の意見に耳を傾けることなく、またしても、一方的に計画を押し付けようとしています。
以下に、「外国人100名雇用」および「教養科目の半分以上を英語で講義すること」の問題点を指摘し、私たちはこの案に強い反対の意を表明いたします。
- 大学の授業は日常会話ではなく、高度な学問的内容を含む。したがって、専門化された一部の大学院では英語講義が可能であっても、多種多様な教養科目においては、講義についてゆける1~2回生は少ないと推量される。この計画は、大部分の学生の学力低下を招き、今後、京大のレベルは著しく落ちることになるであろう。
- 学問の基礎となるのは論理的で強靭な思考力であり、そのような基礎力は、教養教育においてこそ培われるものであって、外国語科目はその一部にすぎない。特に人文系の学問では、学問内容と言語とが切り離しがたく結びついているし、専門領域によっては、学問体系自体が日本語で出来上がっていて、英語での教育システムに即切り替えられないものもある。大学1~2回生の重要な時期に高度な思考力を育むうえで、母語は最も貴重な言語である。教養科目の半分以上を英語で行うことは、母語の使用を規制することを意味し、英語の学力向上に役立つというよりも、学生の知性・精神面を劣化させる害のほうが大きい。母語を軽視することは、やがては日本文化の衰退につながり、社会に対する大学としての責務を果たせなくなるであろう。
- 英語力さえあれば、即グローバルであるという考えは、あまりにも浅薄である。日本人にとってのグローバルとは、
英語を非母語のひとつの知的戦略言語として認識し運用することで あって、それを教示できるのは英米母語者とは限らない。 教養として英語力をもつのみでは、中身がなければ、グローバルな世界では通用しない。要は、貧弱な内容を流暢に話すことではなく、たとえシンプルな英語であっても、論理的に強い内容を、自信をもった態度で伝えることである。次世代を担う若者たちに「英語支配」のイデオロギーを一方的に押しつけるようなことをすれば、母語よりも英語のほうが高級な言語であるかのごとく卑下したり、コンプレックスを抱いたりする危険があり、真の国際人としての自信を育むうえでかえって妨げとなる。学問の場に相応しい教養と学術的言語技能の育成を目指して、現在京都大学で行われている「学術目的の英語」(English for Academic Purpose [EAP])教育は着実な成果を挙げており、この路線で発展させてゆくほうがはるかに望ましい。 - 平成25年3月5日開催の部局長会議「平成24年度国立大学改革強化推進事業への採択について(報告)」では、「採用する外国人…定員内ではないが既に特定有期となっている外国人教員を正規に採用しても、各種大学ランキングの調査項目になっている外国人教員比率は上昇しない(特定有期は既に含まれている)」とある。この計画の実際の目的は、国際的な「大学ランキング」対応にあることは明らかで、実効性のない「英語力の強化」はその隠れ蓑にすぎない。
- 現在では、京都大学を含め日本の大学で教えることは、優秀な外国人教員にとってはそれほど魅力がない時代である。そのため、一割程度の英語授業担当者として外国人非常勤講師を採用するさいにも、優秀な人材確保に非常に苦労しているというのが実情である。100名規模で採用するとなれば、必然的に外国人教員の質の低下は免れない。
- 案のなかには、今後「会議や各種書類の英語化の推進」を図るという内容まで含まれているが、なぜ日本にいながら、全体の割合のなかでは少数派の外国人に合わせおもねって、日本人があえて議論の劣勢となるような、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。あまりにも露骨に英語を崇拝して屈従しようとする総長の態度は、愚の骨頂である。
平成25年3月14日
「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志の会