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on 3月 14, 2013
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先日3月2日、文部科学省で京都大学の改革強化のための補助金の配分が決定され、5年間で外国人教員100名を雇用し、教養授業の半分程度が英語で行われるという内容の記事が、朝日新聞および日経新聞に掲載されました。その後3月5日に開催された部局長会議および評議会において、外国人100名の受け皿としての再配置定員を確保するために、各部局で年間一定割合の教員削減を行うことと並行してシーリングをかける (一定の比率で、空いたポストを補充せず空けたままにしておく) という案が、多大な議論の末、可決されました。これにより、各部局は今後の運営がきわめて厳しくなるため、大きな議論が呼び起こされています。
「外国人100名雇用」に関する案が最初に浮上して来たのは、昨年3月末ごろですが、松本紘総長を中心とする執行部の一部から提示されたこの案は、いったん消え、昨年6月より、専ら「国際高等教育院」設置案が急速に推し進められるようになりました。その後、同案が昨年末12月18日に、実質的な多数決により強引に可決されたことについては、すでに本ウェブサイトでもお知らせしたとおりです。
この決定の結果を受けて、本年1月に国際高等教育院設置準備委員会が立ち上げられ、現在は、ようやく構想の中身に関する検討が始まって間もない段階です。そのような時点で、私たちの知らないうちに進展していた、かくも重大な問題が、あたかもすでに決まったかのごとく、突如新聞報道をとおして通知され、混乱に陥れられたことに対して、私たち京都大学の教員は衝撃と憤りを禁じ得ません。松本総長以下、現執行部は、教育の現場に立つ私たち教員の意見に耳を傾けることなく、またしても、一方的に計画を押し付けようとしています。
以下に、「外国人100名雇用」および「教養科目の半分以上を英語で講義すること」の問題点を指摘し、私たちはこの案に強い反対の意を表明いたします。
- 大学の授業は日常会話ではなく、高度な学問的内容を含む。したがって、専門化された一部の大学院では英語講義が可能であっても、多種多様な教養科目においては、講義についてゆける1~2回生は少ないと推量される。この計画は、大部分の学生の学力低下を招き、今後、京大のレベルは著しく落ちることになるであろう。
- 学問の基礎となるのは論理的で強靭な思考力であり、そのような基礎力は、教養教育においてこそ培われるものであって、外国語科目はその一部にすぎない。特に人文系の学問では、学問内容と言語とが切り離しがたく結びついているし、専門領域によっては、学問体系自体が日本語で出来上がっていて、英語での教育システムに即切り替えられないものもある。大学1~2回生の重要な時期に高度な思考力を育むうえで、母語は最も貴重な言語である。教養科目の半分以上を英語で行うことは、母語の使用を規制することを意味し、英語の学力向上に役立つというよりも、学生の知性・精神面を劣化させる害のほうが大きい。母語を軽視することは、やがては日本文化の衰退につながり、社会に対する大学としての責務を果たせなくなるであろう。
- 英語力さえあれば、即グローバルであるという考えは、あまりにも浅薄である。日本人にとってのグローバルとは、英語を非母語のひとつの知的戦略言語として認識し運用することであって、それを教示できるのは英米母語者とは限らない。教養として英語力をもつのみでは、中身がなければ、グローバルな世界では通用しない。要は、貧弱な内容を流暢に話すことではなく、たとえシンプルな英語であっても、論理的に強い内容を、自信をもった態度で伝えることである。次世代を担う若者たちに「英語支配」のイデオロギーを一方的に押しつけるようなことをすれば、母語よりも英語のほうが高級な言語であるかのごとく卑下したり、コンプレックスを抱いたりする危険があり、真の国際人としての自信を育むうえでかえって妨げとなる。学問の場に相応しい教養と学術的言語技能の育成を目指して、現在京都大学で行われている「学術目的の英語」(English for Academic Purpose [EAP])教育は着実な成果を挙げており、この路線で発展させてゆくほうがはるかに望ましい。
- 平成25年3月5日開催の部局長会議「平成24年度国立大学改革強化推進事業への採択について(報告)」では、「採用する外国人…定員内ではないが既に特定有期となっている外国人教員を正規に採用しても、各種大学ランキングの調査項目になっている外国人教員比率は上昇しない(特定有期は既に含まれている)」とある。この計画の実際の目的は、国際的な「大学ランキング」対応にあることは明らかで、実効性のない「英語力の強化」はその隠れ蓑にすぎない。
- 現在では、京都大学を含め日本の大学で教えることは、優秀な外国人教員にとってはそれほど魅力がない時代である。そのため、一割程度の英語授業担当者として外国人非常勤講師を採用するさいにも、優秀な人材確保に非常に苦労しているというのが実情である。100名規模で採用するとなれば、必然的に外国人教員の質の低下は免れない。
- 案のなかには、今後「会議や各種書類の英語化の推進」を図るという内容まで含まれているが、なぜ日本にいながら、全体の割合のなかでは少数派の外国人に合わせおもねって、日本人があえて議論の劣勢となるような、あたかも植民地政策を思わせるような状況作りを強制しなければならないのか。あまりにも露骨に英語を崇拝して屈従しようとする総長の態度は、愚の骨頂である。
平成25年3月14日
「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志の会
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on 3月 10, 2013
お知らせ,
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2013年3月8日、総長選考会議に対し、「総長リコール規定」制定要求を提出しました(総務部総務課に伝達依頼)。2013年3月中に選考会議新規メンバーが選出されるそうですが、リコール規定制定のための早急な対応と、私たちの要求に対する公開の返答を求めています。要求の文面は以下の通りです。
「総長リコール規定」制定要求
総長選考会議委員各位
このたびの国際高等教育院設置は、責任部局である私たち人間・環境学研究科教授会の反対決議を押し切って総長の独断専行で設置されることとなり、約70名よりなる私たち<「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志の会>は、深く憂慮しています。総長に対する批判が学内外に強いことは、昨年末より始めた総長辞任要求署名によっても明らかです(署名のコピーを総務部総務課を通じて選考会議に届けるよう依頼してあります)。
総長リコール制度が確立されていれば、私たちはその手続きにのっとり、総長リコールのための運動を始めたでしょうが、そのような制度がないため、私たちの反対運動も制約を受けました。京都大学を憂え、総長の方針に反対する多くの構成員の意見を反映する機会が奪われています。
総長選考会議は総長を選考する権限をもつだけでなく、総長の解任を文部科学大臣へ申し出る権限をもちます(京都大学総長選考会議規程第3条第2項)。これは、選考会議が総長に対し中立的な立場から、その行動を監視する大きな責任を負うことを意味します。しかし、リコール制度を確立しないまま、選考会議が漫然とその任にあるとすれば、それは結果的に中立性を放棄し、総長に加担することになるでしょう。
リコール制度は、現総長のみならず、将来にわたって総長に対する批判・牽制の重要な手段となり、学内民主主義の根幹をなすと考えます。今回の総長の行動に対する賛否はひとまず措くとしても、京都大学構成員による総長リコール制度の早急な制定は、中立たるべき総長選考会議として最優先の義務ではないでしょうか。
以上の見地から、早急にリコール制度制定のための手続きを始められることを要望します。また、ことがらの重要性に鑑み、私たちのこの要望に対し、総長選考会議としての公的見解を表明していただくことをあわせて要求します。
平成25年3月8日
「国際高等教育院」構想に反対する人間・環境学研究科教員有志の会
※この要望は私たちのホームページ(http://forliberty.s501.xrea.com)で公開しています。
※有志会連絡先:jinkanyushikai@gmail.com
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on 12月 28, 2012
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I 「国際高等教育院(仮称)の設置について(案)」(平成24年12月18日教育研究評議会資料)抜粋
【赤字表記は重要ポイント/青字表記は省略部分】
1 設置の趣旨等
・・・(省略)・・・平成21年11月17日に研究科長部会の下に「学士課程における教養・共通教育検討会」が設置され・・・(省略)・・・これを踏まえて京都大学における教養・共通教育のあり方を具体的に検討する作業が開始された。・・・(省略)・・・様々な検討が重ねられ、今回、その検討結果に基づき、現在の「企画は機構、実施は責任部局」という二元的体制を改め・・・(省略)・・・全学的共通教育の企画、調整及び実施等を一元的に所掌する全学責任組織「国際高等教育院(仮称。以下「教育院」)」を設置するものである。(以下省略)
2 教育院の理念
・・・(省略)・・・教育院は、教養・共通教育の企画と実施の責任を一元的に担う独立の部局ではあるが、全部局に開かれているとともに、全部局によって支えられなければならない。・・・(省略)・・・教育院の専任教員、及び、教養・共通教育を担当する各部局の教員は・・・(省略)・・・各教科の教育目標の達成を目指すものである。本学の教育は、高いレベルの研究に裏付けられる必要がある。(以下省略)
3 組織関係
- 教育院に教育院長を置き、総長の指名とする。
- 教育院に教養・共通教育協議会(以下「協議会」)を置き、教養・共通教育の実施方針、教育課程の編成方針、教員人事、予算等の重要事項を協議する。
- 教育院に企画評価専門委員会(以下、「専門委員会」)を置き、授業等の実施状況や組織の運営状況の評価と、それらを踏まえた改善案の作成のほか、教養・共通教育協議会から委任された事項を協議する。
- 教育院に教養教育部、基礎教育部、外国語教育部を置き、各教育部に部長及び教育部教授会(仮称)を置く。
(その他4項目省略)
4 定員及び専任教員
- (1) 教育院には・・・省略・・・必要な定員を配当する。
- (2) 定員数は・・・省略・・・平成25年度中に決定する。
- (3) 上記の定員は、現在、教養・共通教育の責任を負っている定員の中から措置する。
- (4) 教育院は、必要に応じ、その定員を各部局に再配当する。再配当を受けた部局は、再配当された定員に応じ、教育院が依頼する科目を提供する。提供科目数が減少した場合、その数に応じて再配当を解消する。
- (5)当初の再配当については、原則として(3)の各部局の意向に基づき行う。
- (6) 定員移動に伴い教員が教育院に移籍する場合、当該教員が元部局を併任することを認める。
- (7) 教育院への定員配当及び教育院から各部局への再配当は、平成26年4月1日に行うものとするが、専門委員会委員の定員に関しては、平成25年4月1日に行うものとし、30程度を目安として上記(3)の定員の中から措置する。
5 設置の過程
- 設置準備委員会において、専門委員会委員を選任するとともに、そのための定員の措置について検討する。
- 平成25年4月1日の教育院設置にあたり、専門委員会委員たる教員を教育院に配置換え等するとともに・・・(以下省略)
- 専門委員会は、平成26年度以降の授業科目、授業方針、成績評価等について検討を行うとともに、それらを基礎として各部局の安定的な運営に配慮しながら教育院の組織や定員に関しても検討を行い、協議会にその結果を報告する。
- 協議会は、専門委員会の報告を受けて、必要となる組織・定員に関して原案を作成し、それに基づいて教育院長は、総長に対し・・・省略・・・提案を行う。総長は、この提案の可否について全学会議に諮るものとする。
- 教育院長は、専門委員会及び協議会の意見に基づき、必要な人事措置を執るものとする。
6 その他
(以下省略)
II 問題点
1 拙速さと杜撰さ
- 議案1(「設置の趣旨等」)には、平成21年11月以来続けてきた検討を結実させた成果が教育院構想であるかのように述べられていますが、本構想は、本年(平成24年)6月に設置された「大学改革特別委員会」において、松本紘総長から突如提案され、あらゆる反対意見を無視して強引に推し進められたものです。
- 議案1には、これまで長年にわたり幅広い高度な教養教育の基盤作り及び実施に成果を挙げてきた人間・環境学研究科、ならびに高等教育研究開発推進機構を中心とする現在の組織体制について、特に具体的な問題点を挙げていません。ここには、たんに現在の二元的体制を一元化すること、すなわち総長による一元的管理を強化するというねらいしか見られません。これは、高等教育研究開発推進機構を廃止し、実施責任部局の意向を無視してまで新組織を設置しなければならない根拠としては、不十分なものです。
- 本構想は、本年末に決定された教育院を、わずか数カ月後の「平成25年4月1日」に設置し(議案5第2項)、定員数を「平成25年度中に決定」する(議案4の(2))という、きわめて拙速な画策です。その後「平成26年度以降の授業科目、授業方法、成績評価等について検討を行い」(議案5第3項)、「平成26年4月1日」に定員配当・再配当を行う(議案4の(7))とあるように、具体的な教育内容や人員配置を後回しにして、先に枠組のみを固めてしまうという強引かつ杜撰なやり方は、教育の責任を担う大学において許されるべき手続きではありません。
2 学生の主体性への配慮と教育理念の欠如
- 議案2(「教育院の理念」)は、教養・共通教育の企画・実施体制について表面的に触れているだけで、肝心の「教養・共通教育とは何か」という本質的な理念に関しては述べていません。「本学の教育は、高いレベルの研究に裏付けられる必要がある」という一文のみは、辛うじて教育理念に関わる内容と言えますが、本構想の原案では、「専任教員には研究は不要」という趣旨の文さえ含まれていたことからすると、十分練られた理念ではないことが懸念されます。
- そもそも教養・共通教育とは専門知にとどまらない教養知の育成です。それは社会のなかで主体的に生きる学生の全人格にかかわる知であり、その習得には学生の主体的取り組みを不可欠の条件とします。にもかかわらず、本決議に至るまでの教養・共通教育「改革」には、大学当局による教員・学生の上からの管理統制という論理しか見られません。この論理が学生の主体的取り組みを促すべき教養教育のあり方と矛盾することは明らかです。
3 組織上の問題点
- 教育院は、「独立の部局」(議案2)とされていますが、教育院長が「総長の指名」によって定められること(議案3「組織関係」)からも、それは総長直轄の教員集団であって、構成員の自治によって成り立つ独立部局としては構想されていないと言えます。
- 同日に開催された臨時部局会議の配布資料では、議案3に「各教育部に部長を置く」と書かれていましたが、同会議終了の15分後に開始された教育研究評議会の資料では、「各教育部に部長及び教育部教授会(仮称)を置く」(下線部追加)という文言に修正されました。急遽追加されたこの「教育部教授会」は、教育院のなかに複数存在する小規模な教授会であり、また、どの程度自治が保証された議決機関であるかは、定かではありません。「協議会」が教員人事、予算等を協議すると明記されていますので、「教育部教授会」は権限の乏しい名ばかりの組織のように見えます。
4 「定員及び専任教員」の概念規定の曖昧さ
- 教育院構想が最初に提案されて以来、12月10日に各部局長宛てに送付された「総長叩き台案」に至るまで、案には具体的な定員数が明示されていました(人間・環境学研究科96または135、理学研究科27ほか)。8日後に開催された臨時部局長会議の配布資料では、議案4(「定員及び専任教員」)の(7)にある「30程度を目安として」という箇所以外では、この数値が消去されましたが、議案4の(3)に「定員は、現在、教養・共通教育の責任を負っている定員の中から措置する」と述べられているとおり、想定されている人員配置の内訳は変わっていないものと推測されます。むしろ、それが隠蔽された結果、平成26年4月までに設置準備委員会や専門委員会、協議会でさらなる改悪がなされる危険性があります。しかも、そこで検討された組織・定員に関する案は「全学会議」に諮るとされていますが、この「全学会議」の性格も不明です。
- 本案には、各部局への「再配当」(議案4の(4)(5)(7))という意味不明の言葉が繰り返し用いられています。そのほか科目の「提供」(議案4の(4))、「併任」(議案4の(6))、定員の「措置」(議案4の(3)、議案5第1項)、「配置換え」(議案5第2項)等の言葉が入り混じり、統一的な用語が使用されていません。また、「専任教員」という用語は議案4の(1)~(7)に使用されておらず、実体が不明です。しかも、議案4の(4)には、「提供科目数が減少した場合、その数に応じて再配当を解消する」とあり、将来部局のポストを教育院に吸い上げようとする意図が垣間見られます。
- 教育院構想における「移籍」に対して、所属学生を擁する総合人間学部・人間環境学研究科としては、強い反対を表明してきました。しかし、議案4の(6)には、「移籍」という言葉が執拗に現れ、「再配当」という言葉とのすり替えが行われているかに見えます。移籍した教員が「元部局を併任することを認める」とありますが、教育院における授業担当コマ数が不明のままでは、実質的な併任の可能性が保証されているとは言えません。
5 「各部局の安定的運営」の不確かさ
- 同日に開催された臨時部局会議の配布資料では、議案5(「設置の過程」)に「専門委員会は・・・それらを基礎として教育院の組織や定員に関しても検討を行い・・・」と書かれていましたが、教育研究評議会の直前に「・・・それらを基礎として各部局の安定的な運営に配慮しながら教育院の組織や・・・」(下線部追加)という文言に修正されました。しかし、上記4で挙げたとおり、本案には、定員の「配当」「再配当」「移籍」等の内容が含まれているため、「各部局の安定的な運営」がいかに可能であるかは、まったく不確実ですし、何をもって「安定的な運営」とするのかが、説明されていません。当初提示されていたように、39名いれば人間・環境学研究科の「安定的な運営」は可能だ、と強弁される余地があります。これでは、総長が議長の裁量により採決なしで了承を得るために、体裁上付け加えた文言にすぎなかった、と解釈されても仕方ないのではないでしょうか。
- 以上から、本構想は、総長が教員を直接的な管理下に置くとともに、そのポストを自らの自由裁量とすることを目的の一部とし、各部局の安定的運営を脅かすものにほかならないと言えます。「高い倫理性」「自由と調和に基づく知」「教育研究組織の自治」等を目指す京都大学の<基本理念>に著しく反したこのような暴挙が行われることを、私たちは何としても阻止しなければなりません。
Posted by 管理人
on 12月 25, 2012
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これまで有志の会の署名に賛同し、署名していただいた皆様に、篤く御礼申し上げます。しかしながら、残念なことに、12月18日の臨時部局長会議において、国際高等教育院(仮称)の設置が承認されてしまいました。
臨時部局長会議では、全学共通教育の実施責任部局である人間・環境学研究科、理学研究科が反対し、また教育学研究科ほか数部局が反対もしくは修正を要求する中、松本紘総長・林信夫高等教育研究開発推進機構長・村中孝史法学研究科長らはそれらを真摯に吟味することなく、実質的な多数決によって可決、承認させました。当該部局の反対意思の表明にもかかわらず、議長(総長)の権限によって審理を終了させ、承認されたものとしたのです。
さらに、その後の教育研究評議会においても、人間・環境学研究科長はじめ、何名かの方々が反対意見を述べられたにもかかわらず、それらを黙殺し、実質的な多数決によって再び可決、承認させました。公の会議の場で、当該学部・研究科の意向に反して強行することはしない、と確言した松本総長は、自ら前言を反古にしたのです。
京都大学の歴史上、部局長会議・教育研究評議会が、いかなる議案にせよ実質的な多数決によって議決したのは異例のことです。特に、新たな組織の立ち上げにより多方面に影響が及ぶ今回の議案について、この決定はまったく不当であり、有志の会はこれを強く非難します。
もはや、京都大学に良識は存在しないのでしょうか。学部自治の伝統は、かくも簡単に無視されてしまってよいものでしょうか。多数決による今回の決定は、今後いかなる部局も、総長の意向次第でその自治権を無視できる前例を作ってしまいました。これは、京都大学の歴史上、最大の汚点として永く記憶されるに違いありません。上記会議において、沈黙をもってこの暴挙に荷担した方々も、明日は我が身という意味合いにおいて、その責任は免れないでしょう。
私たち有志の会は、部局長会議、教育研究評議会の決定の撤回を強く主張するとともに、これを主導した松本総長の辞任を強く要求するものです。
Posted by 管理人
on 12月 06, 2012
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12月4日の部局長会議では、「国際高等教育院(仮称)の設置について(案)」が配布され、審議されました。これは従来の「教育院」構想と同じく、「配当定員」を「200程度」とし、「戦略定員10を含む195を暫定値」としたもので、人間・環境学研究科(以下、「人環」)の「再配当定員」を「96(移籍者の数に応じて減少)」と定めています。一見すると、11月26日の総長メールにいう「専任教員の規模は、おおよそ50名前後になる」との見込み(赤松副学長の学生向けメールも同内容)と大きな齟齬をきたしています。
私たち有志の会では、11月26日の総長メールを、反対運動による一定の成果と捉え、28日の「学生・院生・教職員との対話集会」でもそのように説明しました。
しかし、今回の部局長会議の資料と突き合わせた結果、総長メールの内容が何ら譲歩を含むものではないことが明らかになりました。総長メールにいう「専任教員」「50人前後」とは、「いわゆる34ポストや戦略定員ポスト」のみの数値であり、人環の「再配当定員」「96」はあえて除外され、言及されなかったのです。つまり、「専任教員」と「教育院の配当定員」(専任教員+再配当教員+貸与教員)とを巧妙に使い分けることで、総長や副学長は自分たちがあたかも譲歩したかのように見せかけ、教職員や学生・院生を懐柔し、反対運動に水をさそうとしたのです。このような、読む者の判断を意図的に誤誘導することをねらった欺瞞に満ちたメールを送る人物が「教育院」構想の中心にいると思うと、背筋が寒くなります。
上記設置案によれば、「高等教育研究開発推進機構が管理する定員 34」が「専任教員」のコアとなり、来年度以降「企画評価専門委員会」のメンバーとなりますが、本来この34ポストは、1992年に教養部廃止後、教養教育を担うために教養部から各学部に振り替えられたものであり、決して高等教育研究開発推進機構固有のポストではありません。また、「企画評価専門委員会」に所属する教員は、各部局から「移籍」することになりますが、誰がそれに当たるのか、これから各部局で決めなければなりません。いったん「教育院」に移籍すれば、その業務に多大なエネルギーが要求されるため、もとの部局での講義や学生指導等に甚大な影響が出るものと強く懸念されます。
今回の部局長会議では、複数の部局長から反対意見が出されたため、「教育院」設置案は継続審議となり、次回の臨時部局長会議(12月18日)に持ち越されました。それまでに、総長は「たたき台」となる案を用意するとのことですが、これに対する十分な検討もないまま、もし採決が強行されるならば、それは京都大学の部局長会議に前例を見ない多数決となります。そしてもし、「教育院」設置が決定されれば、教員の意志を蹂躙した人事が行われる悪しき前例を作ることになります。
残念なことではありますが、総長の今までの強権的な大学運営が全学に恐怖に近い感情を醸成していることを、私たちは想像するに吝かではありません。それだけに、なかなか声を上げにくい状況とは思いますが、試されているのは京都大学の良識であり、さらには各部局の自治権、ひいては教員ひとりひとりが自ら選んだ職場で働くことの権利と自由です。京都大学の各部局の皆様におかれましては、他部局のことと傍観するのではなく、ご自身の問題としてお考え下さいますよう、心からお願いする次第です。
最後に、松本総長は、京都大学公式ホームページに掲載された「松本紘総長からのメッセージ」冒頭で、「京都大学は創立以来、自由の学風のもと闊達な対話を重視し」と明言しています。「国際高等教育院」構想をがむしゃらかつ拙速に実現しようとする総長の大学運営ほど、この自らのことばを裏切っているものはありません。京都大学の最高責任者の発することばが「しょせん虚ろなものだ」と学生諸君に思わせることほど、若人の真理探求への意欲をそぐものはありません。松本紘総長に、いま一度、ご自分の発したことばをかみしめ、自らの言説に対して責任をとることをつよく要求します。
Posted by 管理人
on 12月 01, 2012
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この記事のオリジナルは 11月26日に「総長メール・赤松副学長メール(11/26)について」というタイトルで掲載しましたが、その後、内容を加筆修正し、タイトルも変更しましたので、記事の日付も更新しました。
私たちが反対している「国際高等教育院」構想に関して、11月26日、総長より全教職員に、また赤松学生担当理事・副学長より全学生に、一斉メールが送信されました。このように、大学執行部が私たちの反対運動に対して対応せざるを得ない状況を作り出せたことは、この運動に賛同し、参加していただいた皆様、また、署名にご協力いただいた皆様の応援のおかげです。有志一同、心より感謝いたします。
しかしながら、メールの内容を見ますと、決して喜んではいられません。副学長メールでは、大学改革特別委員会での議論をへた正式の案であるはずの、「国際高等教育院(仮称)には200名程度の教員定員を措置する」という案(9月メール参考資料6に記載)を、「一部」の「憶測」に過ぎないと述べて、自らの構想の責任をわれわれの誤解に帰する言い訳をしています。自ら先に提示した資料との矛盾をも顧みないその臆面のなさにあきれるばかりです。また、11月20日の委員会で時間切れのため結論が出なかったものを「了承され」た(総長メール)としたり、最近になって唐突に提案された「教育院」構想(詳しくはホームページの「総長メールとともに公開された参考資料1〜7についてのコメント」の赤字部分をご参照下さい)について「長年にわたり議論を重ね」(副学長メール)た結果とするなど、事実と異なった記述がいたるところに含まれています。
それだけでなく、今回のメールの提案においても、9月の総長メール参考資料の「コメント」においてわれわれが指摘した本質的問題点はなんら解消されていません。つまり、機構を中心とした全学組織において改善しうる問題点を指摘したにとどまる、学士課程における教養・共通教育検討会の報告を「根拠」に、「国際高等教育院」という組織を作るという必然性は全く出てこないにもかかわらず、今回のメールでも論理的な整合性をを欠いたまま、次案を一方的に繰り出しているだけです。案が真に上記報告の必然的帰結なら、大きく異なる別の案に簡単に変更できるはずがありません。しかも短期間に次々と目先を変えた案が繰り出されること自体が、それぞれの案が単なる思いつきに過ぎないことをまぎれもなく示しています。
しかも、このような大きな改革をトップダウンで驚くほど短期間で決めようという手続き上の問題はなんら改められていません。今回の総長メールの新たな案も、委員会等での審議・決定を経ずに、いきなり、すでに決まったものであるかのように教員全員に提示されました。自由の学風を謳う京都大学の最高責任者が正式の手続きを無視したこのような乱暴な手法をとっているのです。人環・総人のみならず、全学共通科目を受講する学部学生を擁する他学部の意見を十分に踏まえることなく、この案を12月の部局長会議で通そうというのでしょうか。
われわれは教員の皆さんに送ったメールに返ってきた質問やホームページ上の質問にはできる限りお返事しようと努力していますが、総長・副学長は返答の不可能なメールを一方的に送りつけるだけで、質問や批判に謙虚に耳を傾ける姿勢をまったく示しません。総長メールは教職員の協力を、赤松副学長メールは学生の理解を呼びかけて終わっていますが、真に教職員・学生の信頼を取り戻し協力と理解を仰ぐためにまずすべきことは、独断的かつ強引・拙速な設置の姿勢を改めることではないでしょうか。
このような状況から、私たち有志一同は、これからも反対運動を続け、「国際高等教育院」構想を白紙撤回させなければならないと、決意を新たにいたしました。今後とも、息の長い、そして暖かいご支援のほどよろしくお願いいたします。
人間・環境学研究科教員有志
Posted by 管理人
on 11月 16, 2012
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「国際高等教育院=教養教育改悪」の経緯
「国際高等教育院」構想は、今年6月に設置された「大学改革特別委員会」において、従来賛成の多かった別の案を無視して松本紘総長から提示された案で、来年4月1日の設立を目指しています。当初は、京大生の英語力を向上させるために、ネイティブ・スピーカー100人程度を雇用するといった漠然とした構想でした。そのうち、この雇用に必要な予算はつかないことになりました。こうした状況の中、6月から一転して、全学共通科目を担当している人間・環境学研究科(人環)・総合人間学部(総人)の教員のうち96人分、理学研究科の教員のうち27人分、その他の部局からも数人単位のポストを「国際高等教育院」に移すという案が示されました。現在135人いる人環・総人の教員のうち、39人だけを人環・総人に残し、配置換え96人分は人環・総人を併任または兼担とすることになっています。総人・人環では、この案に次の理由で反対しています。
1.「国際高等教育院」構想は、教養教育の破壊です。
私たちは、全学共通科目の教育と、専門科目の教育を序列化すべきではないと考えます。すなわち、全学共通科目を教える教員は研究をせずにたくさんの授業を担当させればよいとか、全学共通科目は有期雇用の教員に担当させればよいといった考え方は拒否します。同時に、専門教育担当者は全学共通科目を持つ必要はないという考え方にも与しません。たとえば、優秀な数学者が1年生の一般教育を教えたことで、お互いにその面白さに目覚めた例が、日本でも、また欧米の大学でもあるからです。研究はもちろん、大学院・学部の教育にも携わる教員が、その経験とセンスをベースに行う教養教育にこそ、学生は魅力を感じるはずです。とくに、本学の優秀な学生が、教養教育「専従」教員の授業に満足するとは到底思えません。
2.「国際高等教育院」構想は、学部自治の破壊です。
「国際高等教育院構想」は、松本総長が一方的に押しつけてきたものです。冨田恭彦研究科長の度重なる質問、異議申し立て、対案としての「CU(Core Unit)21」(4.参照)提示、教授会での反対声明は、残念ながら無視されてきました。総長は当初「当該部局の反対する案を無理に通すことはしない」とおっしゃっていました。にもかかわらず、この構想で最も影響を被る人環・総人からの異議に全く答えることもなく、教授会による反対決議をも無視しつづけ、強硬に構想を押し進めようとしています。松本総長のこのような大学運営は、もはや恐怖政治の域に達しており、学部自治を重んじる本学の伝統は風前のともしびです。「国際高等教育院」への強制的な配置換えを前例として、教員・部局の意向を無視した組織改変が横行することを私たちは強く危惧します。
3.「国際高等教育院」構想は、人環・総人の破壊です。
私たちは、約20年前、教養部が改組され総人・人環が誕生して以来、学部・大学院の専門教育と全学共通科目を、すべての教員が公平に担当するという理念のもとに、全教員が一丸となって教育を行ってきました。具体的には、幅広い専門領域をカバーする教員集団によって、総人では理系・文系にまたがる5つの学系を、人環では3専攻の組織体制をつくり、教育・研究を推進してきたのです。その組織体制こそ、幅広い高度教養教育の基盤であることは言うまでもありません。もし、この組織体制が総人・人環と「国際高等教育院」とに分断されれば、これまでの教育指導体制が不可能になります。
4.私たちは、決して現状維持を主張しているのではありません。
人間・環境学研究科教授会では、9月の段階で、総長の提示する「国際高等教育院」構想の対案として「CU(Core Unit)21」構想を提案し、総長はじめ、各部局長に送付しています。これは、総長指名の責任者、および、10学部から各2名の出向教員によって構成される常駐組織であり、高等教育研究開発推進機構の弱点とされる「企画力」を強化する組織です。ここでは、「人文・社会科学系科目群」「自然・応用科学系科目群」「外国語系科目群」「現代社会適応科目群」「拡大科目群」それぞれに4名ずつの企画・調整担当の教員を配置し、各学部の意見を集約して適切な改革を行います。これによって、従来の弱点は克服できるにもかかわらず、総長は真摯に検討していません。
京大が百年かけて育ててきた貴重な教養教育体制をさらに充実させるために、全学の真摯なご検討をお願いする次第です。
人間・環境学研究科・総合人間学部 教員有志
(配布ビラ No.5_Ver.2.4:2012年11月16日 より)
Posted by 管理人
on 11月 16, 2012
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「国際高等教育院」構想に反対します
京都大学の学生・教職員のみなさん
京都大学の研究・教育に関心をもつすべてのみなさん
京都大学の教養教育(専門基礎・外国語教育を含む)には、人間・環境学研究科と理学研究科が多くの授業科目を提供してきました。幅広い分野の教員が、第一線の研究に基づいた大学院・学部教育を担うと同時に、特色ある教養科目を開講してきました。高度な研究能力をもつ多くの教員が一丸となって,研究と教育を一体化させて推進することによって,京都大学にふさわしい創意と多様性に溢れた教養教育を実現しています。
しかるに、現在、松本紘総長が強硬に進めている「国際高等教育院」構想によって、わたしたちが誇りとするユニークな養教育が根底から破壊されようとしています。わたしたちは以下の理由で、この構想の成立に反対します。
- 人環構成員の一貫した反対を無視して、現有教員の70パーセント以上・約100名を、総長直轄の人員プールに移すこの構想は、端的に部局人事権の侵害であり、京都大学の存立根拠である「自由の学風」と「学部自治」の伝統を著しく侵害する暴挙であります。人事権を基礎とする学部自治が、学問の自由と自律性を担保する制度の根幹であることを踏まえますと、その根幹を破壊しようとするこの動きは、ひとり人環の問題ではなく、京都大学のすべての構成員にとって共通の危機であると考えられます。
- 他部局からの定員移動も含めれば185名に達する巨大な総長直轄人員プールが行おうとしている「教養教育」なるものは、なんの理念も理想もない大学の専門学校化であり、長い年月にわたって蓄積・整備されてきた京都大学の教養教育の伝統を破壊する愚策であります。
- 民主主義と雇用契約に決定的に反するこの組織改変は、総人の学部生ならびに人環の大学院生に対して責任を負っているわたしたちの教育・研究システムを根底から解体する許しがたい権力の濫用であります。
☆人間・環境学研究科/総合人間学部教授会は「国際高等教育院」構想をわたしたちの同意なく決定することに反対する決議を9月27日に行っています。
ご理解とご協力をよろしくお願いします。
人間・環境学研究科・総合人間学部 教員有志
(配布ビラ No.2_Ver.1.3:2012年11月14日 より)
Posted by 管理人
on 11月 15, 2012
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多様性ある教養教育と「自由の学風」を守ろう
京都大学の学生・教職員のみなさん
京都大学の研究・教育に関心をもつすべてのみなさん
京都大学の教養教育(専門基礎・外国語教育を含む)は、人間・環境学研究科と理学研究科が多くの授業科目を提供することによって行われてきました。優れた教養教育の基盤として必須な幅広い分野の教員が、第一線の研究と大学院・学部教育を担いつつ、教養科目を担当しています。高度な研究能力をもつ多くの教員が一丸となって、研究・教育を一体化させて推進することで、京都大学にふさわしい創意と多様性に溢れた教養教育を実現しているのです。
しかし、現在、松本紘総長が尋常ではない速さで実現を急いでいる「国際高等教育院」構想では、各部局から配置転換される200名近くの教員が教養教育に専念することを義務づけられます。暫定的には、研究と学部・大学院教育を続ける可能性をかろうじて担保されるとしても、近い将来、この組織が、最先端の研究に裏づけられた広い視野をもたない、ありきたりの教養教育しか提供できなくなることは明らかです。この認識に立ち、人間・環境学研究科/総合人間学部教授会は、同構想の決定に反対することを9月27日に決議しております。
京都大学は「自由の学風」を謳い文句とし、学生のみなさんもそのことに大きな誇りをもって、この大学で学ばれていることでしょう。わたしたちは、いかにも京都大学らしい柔軟な発想に溢れた高度な教養教育を崩壊させる「国際高等教育院」構想に反対します。このわたしたちの活動に、ぜひともご理解とご協力をお願いします。
人間・環境学研究科 教員有志
(配布ビラ No.1_Ver1.2:2012年11月14日 より)