この記事のオリジナルは 11月26日に「総長メール・赤松副学長メール(11/26)について」というタイトルで掲載しましたが、その後、内容を加筆修正し、タイトルも変更しましたので、記事の日付も更新しました。
私たちが反対している「国際高等教育院」構想に関して、11月26日、総長より全教職員に、また赤松学生担当理事・副学長より全学生に、一斉メールが送信されました。このように、大学執行部が私たちの反対運動に対して対応せざるを得ない状況を作り出せたことは、この運動に賛同し、参加していただいた皆様、また、署名にご協力いただいた皆様の応援のおかげです。有志一同、心より感謝いたします。
しかしながら、メールの内容を見ますと、決して喜んではいられません。副学長メールでは、大学改革特別委員会での議論をへた正式の案であるはずの、「国際高等教育院(仮称)には200名程度の教員定員を措置する」という案(9月メール参考資料6に記載)を、「一部」の「憶測」に過ぎないと述べて、自らの構想の責任をわれわれの誤解に帰する言い訳をしています。自ら先に提示した資料との矛盾をも顧みないその臆面のなさにあきれるばかりです。また、11月20日の委員会で時間切れのため結論が出なかったものを「了承され」た(総長メール)としたり、最近になって唐突に提案された「教育院」構想(詳しくはホームページの「総長メールとともに公開された参考資料1〜7についてのコメント」の赤字部分をご参照下さい)について「長年にわたり議論を重ね」(副学長メール)た結果とするなど、事実と異なった記述がいたるところに含まれています。
それだけでなく、今回のメールの提案においても、9月の総長メール参考資料の「コメント」においてわれわれが指摘した本質的問題点はなんら解消されていません。つまり、機構を中心とした全学組織において改善しうる問題点を指摘したにとどまる、学士課程における教養・共通教育検討会の報告を「根拠」に、「国際高等教育院」という組織を作るという必然性は全く出てこないにもかかわらず、今回のメールでも論理的な整合性をを欠いたまま、次案を一方的に繰り出しているだけです。案が真に上記報告の必然的帰結なら、大きく異なる別の案に簡単に変更できるはずがありません。しかも短期間に次々と目先を変えた案が繰り出されること自体が、それぞれの案が単なる思いつきに過ぎないことをまぎれもなく示しています。
しかも、このような大きな改革をトップダウンで驚くほど短期間で決めようという手続き上の問題はなんら改められていません。今回の総長メールの新たな案も、委員会等での審議・決定を経ずに、いきなり、すでに決まったものであるかのように教員全員に提示されました。自由の学風を謳う京都大学の最高責任者が正式の手続きを無視したこのような乱暴な手法をとっているのです。人環・総人のみならず、全学共通科目を受講する学部学生を擁する他学部の意見を十分に踏まえることなく、この案を12月の部局長会議で通そうというのでしょうか。
われわれは教員の皆さんに送ったメールに返ってきた質問やホームページ上の質問にはできる限りお返事しようと努力していますが、総長・副学長は返答の不可能なメールを一方的に送りつけるだけで、質問や批判に謙虚に耳を傾ける姿勢をまったく示しません。総長メールは教職員の協力を、赤松副学長メールは学生の理解を呼びかけて終わっていますが、真に教職員・学生の信頼を取り戻し協力と理解を仰ぐためにまずすべきことは、独断的かつ強引・拙速な設置の姿勢を改めることではないでしょうか。
このような状況から、私たち有志一同は、これからも反対運動を続け、「国際高等教育院」構想を白紙撤回させなければならないと、決意を新たにいたしました。今後とも、息の長い、そして暖かいご支援のほどよろしくお願いいたします。
人間・環境学研究科教員有志
教員への総長メールの内容を知りたいという(たぶん学生さんの)声を耳にしました。このサイトに掲載される予定はないでしょうか?
あるいは、このコメント欄に私がアップしてもよいでしょうか?
と思っていたら学生会議さんのウィキにアップされておりましたので、アドレス貼り付けておきますね。
http://www50.atwiki.jp/ku_students/pages/28.html
赤松理事のメールは元教員にも届いていました。(メディアセンターの継続利用を希望してIDが発行されている名誉教授だけかもしれません。)私は(覚えておられるかもしれませんが)昔から○○正直で、一部でも誤謬があると見過ごせない性格ですので、以下のような返信を送りました。何も聞いていなかった名誉教授にまで届いているとなると気になりますから。
赤松理事 様
元教員の冨田博之と申します。
「国際高等教育院(仮称)の設置について」というメールを拝受いたしました。マスコミで報道され気にかかっている折から、ていねいにご説明いただきありがたく思っております。せっかくいただきましたので、一点、質問させていただきます。
文中に 『一部で言われているような200名規模の専任教員が集められ、この専任教員だけが教養・共通教育を行うというようなものではありません。』 というくだりがあります。
私は新聞の報道を見たあと、公表されている関連資料を京都大学の公式サイトから入手し、読ませていただきました。その中に「大学改革特別委員会」の7月24日づけの資料があり、基本方針として「200名程度の教員定員を措置する」と明確に書かれています。
その拠出の内訳を見ますと、教養・共通教育を実施するのに必要な規模として、明らかに旧教養部の規模を想定されたものと理解しました。 旧教養部時代にも他部局の教員が協力していましたから、「専任教員だけが教養・共通教育を行うものでない」ことは、ここでわざわざ、「一部」に対して反駁する必要のないことであります。
お聞きしたいのは、この大学改革特別委員会というのは、貴職が「一部で言われているような」と位置づけられるような、非公式な委員会なのかということです。そうでなければ、メールにある上記のくだりは、少なくともこのメールで事態を初めて知らされた学生や元教員は「一部の教員や学生が根拠もなく大げさに騒いでいるが」と受け取るのではないかと思われます。
ここは、「一部で言われているような」ではなく、「一時提案されていたような」に訂正されるべきではないでしょうか?
元教員です。
赤松理事からいただいたメールで、構想は少し軌道修正されたかという印象を受けていましたが、今朝の京都新聞によれば、昨日の部局長会議では、結局「一部で言われているような案」---200名規模、人環から96移籍、教育院長は総長指名等が諮られたようですね。そうすると赤松理事からいただいた丁寧なメールはどうなるんでしょうかね?
やはり大学を離れてしまうと、的確に情勢をつかめないようですね。