12月4日の部局長会議では、「国際高等教育院(仮称)の設置について(案)」が配布され、審議されました。これは従来の「教育院」構想と同じく、「配当定員」を「200程度」とし、「戦略定員10を含む195を暫定値」としたもので、人間・環境学研究科(以下、「人環」)の「再配当定員」を「96(移籍者の数に応じて減少)」と定めています。一見すると、11月26日の総長メールにいう「専任教員の規模は、おおよそ50名前後になる」との見込み(赤松副学長の学生向けメールも同内容)と大きな齟齬をきたしています。
私たち有志の会では、11月26日の総長メールを、反対運動による一定の成果と捉え、28日の「学生・院生・教職員との対話集会」でもそのように説明しました。
しかし、今回の部局長会議の資料と突き合わせた結果、総長メールの内容が何ら譲歩を含むものではないことが明らかになりました。総長メールにいう「専任教員」「50人前後」とは、「いわゆる34ポストや戦略定員ポスト」のみの数値であり、人環の「再配当定員」「96」はあえて除外され、言及されなかったのです。つまり、「専任教員」と「教育院の配当定員」(専任教員+再配当教員+貸与教員)とを巧妙に使い分けることで、総長や副学長は自分たちがあたかも譲歩したかのように見せかけ、教職員や学生・院生を懐柔し、反対運動に水をさそうとしたのです。このような、読む者の判断を意図的に誤誘導することをねらった欺瞞に満ちたメールを送る人物が「教育院」構想の中心にいると思うと、背筋が寒くなります。
上記設置案によれば、「高等教育研究開発推進機構が管理する定員 34」が「専任教員」のコアとなり、来年度以降「企画評価専門委員会」のメンバーとなりますが、本来この34ポストは、1992年に教養部廃止後、教養教育を担うために教養部から各学部に振り替えられたものであり、決して高等教育研究開発推進機構固有のポストではありません。また、「企画評価専門委員会」に所属する教員は、各部局から「移籍」することになりますが、誰がそれに当たるのか、これから各部局で決めなければなりません。いったん「教育院」に移籍すれば、その業務に多大なエネルギーが要求されるため、もとの部局での講義や学生指導等に甚大な影響が出るものと強く懸念されます。
今回の部局長会議では、複数の部局長から反対意見が出されたため、「教育院」設置案は継続審議となり、次回の臨時部局長会議(12月18日)に持ち越されました。それまでに、総長は「たたき台」となる案を用意するとのことですが、これに対する十分な検討もないまま、もし採決が強行されるならば、それは京都大学の部局長会議に前例を見ない多数決となります。そしてもし、「教育院」設置が決定されれば、教員の意志を蹂躙した人事が行われる悪しき前例を作ることになります。
残念なことではありますが、総長の今までの強権的な大学運営が全学に恐怖に近い感情を醸成していることを、私たちは想像するに吝かではありません。それだけに、なかなか声を上げにくい状況とは思いますが、試されているのは京都大学の良識であり、さらには各部局の自治権、ひいては教員ひとりひとりが自ら選んだ職場で働くことの権利と自由です。京都大学の各部局の皆様におかれましては、他部局のことと傍観するのではなく、ご自身の問題としてお考え下さいますよう、心からお願いする次第です。
最後に、松本総長は、京都大学公式ホームページに掲載された「松本紘総長からのメッセージ」冒頭で、「京都大学は創立以来、自由の学風のもと闊達な対話を重視し」と明言しています。「国際高等教育院」構想をがむしゃらかつ拙速に実現しようとする総長の大学運営ほど、この自らのことばを裏切っているものはありません。京都大学の最高責任者の発することばが「しょせん虚ろなものだ」と学生諸君に思わせることほど、若人の真理探求への意欲をそぐものはありません。松本紘総長に、いま一度、ご自分の発したことばをかみしめ、自らの言説に対して責任をとることをつよく要求します。
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